不動産備忘録1 マンション検討の終わり

婚活をしようとしたら家のことが気になり、あちこち見て勉強しているうちに2月は逃げていきました。

纏めておきます。

まず、最初に伺ったのがT社の海岸付近の低層マンション。ヨーカドーの駐車場前にモデルルームがあり、そこでお話を聞きました。担当の営業さん(Kさん)が歳若く優秀な感じの女性で、それもあって物件も好印象でローンの基礎などのお話もしていただき、俄然マンションに興味が湧きました。

続いて同じ会社で駅近の物件があるということで、そちらに伺いました。Kさんの先輩に当たる男の営業さんに話を聞き、同じ会社でもコンセプトが多様でそれぞれシリーズ化していることや、投資の観点からのマンション売買の基礎、他の選択肢との比較におけるマンションの価値(メリット・デメリット)などを学びました。

次は姉のお供でモノレール沿いの中古リノベものを見ました。広く綺麗でよかったのですが、甥っ子がドタバタしていたらお隣からクレームが入り、中古ならではの難しさも知りました。

同じモノレール沿いでも1件伺い、自分は乗せられて買う気満々になったのですが、同行した家族の反応はいずれも今一つで、価値観の多様性やその調整の大切さを学んだように思います。また、嘘はつかなくてもグレーなことは結構する人はするんだな、と知り勉強になりました。(これについては損得含めていろいろ思うところがあるのでいずれ何か書こうと思っています)

最後に伺ったのが本命であった湘南台のマンションで、マンションを買うならここだろうということでだいたい気持ちが固まりました。

いろいろ見させていただいて、多くのことを学び得難い経験を積むことができました。本での学びだけでない学びの形というのは、学部時代からの自分のテーマでもあり、それと同時にそれを有意義なものにするために読書や調査を怠らないことの重要性も再認識でき、そうした意味でもこの時期にこういった経験が出来たのは大きかったです。

今後は戸建てを見つつ湘南台のものに関して、買うのか買わないのか(個人的にはいつ買うのか、くらいの気持ちになっていますが大きな買い物で一人ではなかなか決めにくい部分もあります)じっくり考えていきます。

メガネをかけることと窓を作ることと目を良くすることと部屋を暖かくすることと

目が悪い、という感覚を知らない人がいる。自分は自分の目が「悪い」と思ったことはあまりなく、「近くを見るのに特化している」と基本的には思っているが、その性質との付き合いはもうずいぶん長い。小学校の真ん中くらいの時期には既に目を細めて黒板を見ていた記憶があり、中学受験塾では幸い成績順の座席表で辛うじて見えていたが、中学入学前後に初メガネを作りに行ったとき、眼科で告げられた視力は0.08だった。

僕はもう長い事、同じ家族と空間を共にして過ごしてきた。祖母、母、父、姉、自分。そして姉に子供が生まれたことで最年少の座を甥っ子に譲った。今では珍しい、4世代同居の下から数えて2世代目に位置して、そこから家族のことを、さらに誇張気味に言えば社会、世界、人類の未来のことを見聞きしたり考えたりしている。僕の視座は、1、2年の例外を別にするといつも、そこにあった。

我が家は歴史が古い。ヨーロッパの建築や、我が国でも神社仏閣と比較すれば赤子に毛が生えた程度かもしれないが、それでも90年の日々をずっとここにこうして在った、そして今後もしばらくは有り続けるであろう実体の重みを感じることがある。ここで育ったことが与えた僕の考え方、生き方への影響は、実は甚大なものだったのではないか。最近になって、独立を考えて家探しを少しずつ進める中、衣食住の「住」に向けてきた意識的な視線の乏しさとともに、無意識的に、有形無形に受け止めてきた様々な要素、その一部を可視化して理解するにいたり、改めてその影響の大きさに驚いた。完了ではなく、継続して今も驚きのさなかに在る。

実は僕は昔から、この家があまり好きでなかった。好きな部分も多いが嫌な部分がいくつも目についた。その最大のものが冬の寒さだった。

我が家は夏は涼しく冬は寒い。古典の言葉通り、夏を旨とした建築なのだろう。熱中症の危険が比較的薄いのはありがたいことだが、冬の寒さはしんしんと身に沁みる。

寒さは人から生きる力を奪う。健康に日々を暮らすためには、暖かさを保つ工夫が必要だ。住居は様々な役割を果たすが中でも、この健康維持のための場所の提供というのは基本に位置するはずだ。雨風をしのぎ断熱性、気密性を高め外部環境から独立した快適な環境を築く。

(それでいて採光や外部観察に適した窓を備え、窓枠という制約を配置することで新たな世界の見方、感じ取り方の枠組みを与える。建築論の文章を読んでいると時折そういう思想を目にすることもあるが、それは比較的些末なことで、見方、感じ取り方は制約があろうとなかろうと自分で選び掴み取るべきだと個人的には考えている。我が家は窓が広く大きく数も多い。なので枠としての働きはほとんど果たしていない。)

(ちなみに寒いのは嫌いだったが、最近はあまり気にならなくなりつつある。暖かく嵩張らない服を着ることを覚えたためで、主にファーストリテイリング様に感謝の意を表したい。やや意外なところではYONEXなどテニス用品系も随分重宝している。)

話を戻そう。僕はこの家での生活に終わりをもたらそうと、あわよくばまとめて結婚とその後の生活に向けての指針と推進力を手に入れようと、家探しに精を出していた。マンションや戸建てのモデルルームを回り、多くの人のお話に耳を傾け、本にもたくさん触れた。その中で思ったことはたくさんあって、ここではあまり触れられないが、キーワード的に列挙すると、断熱の重要性、循環型の視点を持つこと、家内部での転倒リスクの極小化、土地の価格と利便性、住環境のバランス、維持費を計画に組み込むことの重要性、借金(住宅ローン)のメリットデメリット、他にも当然色々あるのだがとりあえずここまで。

漠然と古く寒い家に不満を持っていたのが、他の選択肢をより解像度を高め具体的に想定して検討していく中で、今の家の良い部分に目が向くようになっていった。

今、自分は少し、建築に興味が湧いている。特に建築史、人にとって建築はかつてどうあって現在、未来に至る過程でどう変貌を遂げてきたのか。物質、精神両面からその変化の経緯を把握して分析することが出来れば楽しいだろうと思う。

また、改めて感じたことだが、不動産というのは妙な世界だ。日々100円のATM手数料を惜しみ節約に励む人が、月に何万何十万も、ただ寝に帰る家に投資を続けるのだ。しかも賃貸であれば期間が終わればそこに何も残らない掛け捨ての形で。もっと自由で平等で人の能力発揮に自然とつながるような、不動産政策というのは成立しないものだろうか。国民の多くが住宅のために借金を背負い、返済のために労働に縛られ続けているとすれば、何だかもったいない気がしてしまう。果たして核家族とはそんなに素晴らしいものなのか、実家から独立するということに月々10万単位の課金に見合う価値があるのか、そのあたり経済的なアプローチで建築、不動産に迫れたら面白そうだ。

あとは純粋に物理、科学的な側面から見た建築のあり方を学ぶこと。免震、耐震とは何なのか、柱は具体的にはどのような役割を果たしていて数は、位置は、太さは、どのような違いをもたらすのかなどなど。興味は尽きない。

法や政治との絡みでは都市計画という部分が重要に映り、そこの部分の意思決定がいかになされ、その影響がどうあらわれているのか、より深く理解して行けたらと考えている。

僕は目が悪いが、幸いメガネはたくさん持っている。メガネをかけない世界とメガネをかけた世界を知っているのは人にはない強みとなりうるのかもしれない。眼は実は、手術をすれば簡単によくなるものらしい。また、眼鏡よりもコンタクトのほうが歪みのない世界が見られて違和感が少ないとも聞く。それでもメガネを掛け続けるのは、生来の面倒くさがりのため、というのは否定できないが、今のものの見方、見え方を存外気に入っていて手放したくないということかもしれない。

久しぶりに学部時代の仲間と再会した翌日の朝、僕はそんなことを考えながら、冬の早朝の悴みそうに冷たい室内の空気に、やっぱり断熱は大事だと思いを新たにしていた。